佐原の町を後にした我々は、バスで香取神宮へと向かった。
▼香取神宮公式
「香取のうみ」をおさえる神威
香取神宮は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祭る。
日本書紀によれば、フツヌシは国土平定に活躍した。
フツヌシの「フツ」とは刀剣の鋭いさまを表した言葉。漢語が伝わる以前の、日本の言葉はどこか柔らか。
香取神宮は、茨城県の鹿島神宮と並び、朝廷から崇敬が深かった。両神宮とも、軍神として信仰された。
北関東の地図を眺めれば、茨城県南部の霞ヶ浦、千葉県北部の印旛沼や手賀沼と、大きめな水たまりが多い。古代にはこのあたりは内海で、「香取海(かとりのうみ)」といった。
香取海は、朝廷が蝦夷に進出するためにおさえておきたい要衝。その軍事拠点として、香取鹿島神宮は、神威を得た。
平和のための武道はここから
軍神武神なので、雰囲気は勇ましい。
香取神宮は、天真正伝香取神道流の創始者、飯篠長威斉(いいざさちょういさい)とゆかりが深い。
長威斉は室町時代の人。千葉氏につかえたが宗家は裏切りにあい滅亡した。これをむなしく感じた彼は、武術とは殺し合いのためのものではないはず、と考え剣の修行をスタートした。
修行の場は香取神宮。ここで奥義を得て「天真正伝香取神道流」を創始した。
日本武道において、はじめて技術を体系化し、鍛練の術として誰にも幅広く教えた。弟子は松本政信、塚原安幹、諸岡一羽など。
しかし、長威斉の思いをよそに、時代は乱れる。槍ひと筋で国を取る戦国の世。人々は自衛のため、そして野望のため、武術を盛んに学ぶようになる。
▲楼門
元禄13年(1700年)の造営。江戸幕府5代将軍、徳川綱吉の命による。
楼上の額は東郷平八郎の筆。
▲本殿
こちらも元禄13年造営。
香取駅まで歩いてみたら
見所が多いが、そろそろ退散しないと。
香取駅まで歩いてみよう。Googleマップによれば徒歩で30分ぐらい。
山道を通される。昼間だが、薄暗い。正直怖い。
茅葺の屋根の民家が一件あって、江戸どころか鎌倉時代あたりまで飛んだような気分になる。
こんな鳥居も。
なんでここに水たまりを作り、鳥居まで。
日本の田舎は謎が多すぎる。
ようやく香取駅。次の電車は50分後だった。