「意識低い起業」で人生変えて世界を変えよう

「起業」というと、世界を変える事業を起こす、みたいな雰囲気がある。「意識高い」というやつ。

しかし、起業とは本来、それほど大それたものではないはずだ。「自分が食っていくための起業」もある。それで、ぜんぜんかまわない。

ここでは、意識高い起業への対語として、自分のための起業を「意識低い起業」と呼ぶ。

世界を変えずとも。意識が低い、自分が食っていくための起業でも、まったくかまわない。

40代半ばで人生行き詰まって産廃にまみれて起業したオジさんの事例

私は44歳の時に会社辞めて起業した。世の中を変えたいと思ったわけではなく、人生が行き詰まってやむなくのことだ。

おもな収入源は産業廃棄物の管理。産廃を排出する企業と、その産廃を処理する業者との仲立ちをして、報酬をいただいている。

世の中を変える構想を描き、資金を調達して、ガリガリと事業を展開していく、というスタイルではない。 そんなアイデアも熱意もない。 借金なんて怖くてできないし、そもそも銀行からおカネを引っ張れるほど魅力的な絵を描くこともできない。

成功するためには意識を低くすればいい

しかしなんとなく食いつなぐことができ、起業してもう4期目だ。

無理しない。かっこつけない。生き延びる。着実に、それだけをやってきた。運も良かった。

産廃を排出する工場を訪ねる。産廃を処理する業者を訪ねる。腐敗した生ごみの山に手をつっこんだり、超高熱で燃焼する炉をのぞいたりする。

そこから、どうやって報酬をいただくか、考え抜く。そんな日々をくり返してたら、いつのまにか4年ぐらいたってた、みたいな。

正直なところそんなに儲かってない。これから儲かる予定だけども。スタートアップの成功事例としてメディアに取り上げられるような華々しさはゼロだ。

しかし「死なずに生き延びる」という低過ぎるハードルはクリアしてきたし、なにより会社辞めてからこっち、人生が激変して毎日が楽しく、自分的には起業は120%の成功だといっていい。

誰にも自分を評価させない。私を評価できるのは私だけだ。

「意識低い=楽」ではない

意識が高かろうが低かろうが、起業の難易度は変わらない。

何らかの価値を他者に提供し、報酬をいただく。起業とは、ただそれだけ。食っていくためにはじめた、どんなにちっぽけな事業でも、他者に何らかの価値を提供できれば、生き残れる可能性が高くなる。

しかし、フツーのオジさんが、たったひとりで、世に何らかの価値を提供しようとしたらけっこう大変なわけで。たとえ意識が低かろうが、楽なわけはない。

努力するのは古いスタイル、できるだけ効率的にスマートに、というのが近年のネットの価値観であり、それに反対するつもりもないが、実際のところおカネが動く現場は血で血を洗う修羅の巷。オジさんたちが必死の形相でうごめいている。こっちも覚悟キメてそこに飛び込み、殴り殴られ消耗していく。

ブルーオーシャンとか平気で口にしてしまう人を私は信用できない。

自分が変われば周囲が変わる 世界が変わる

自分のため、食っていくためにおカネが欲しいから起業する。仕事する。報酬をいただく。

結局それは、他者に何らかの価値を提供するということに他ならない。皮肉なことだが、生き延びようとすればするほど、自分は他者に何ができるのかを、自らに問い続けることとなる。

私は自分が食っていくために起業したけど、お客さんが抱えている、産廃に関する困りごとを解決しており、それはわずかだが、世界を善い方向に変えている。

仕事って、たとえコンビニの店員さんでも、世界を変える環に加わっている、と私は信じている。飛び込んだコンビニにその店員さんがいなければ買いものできないわけだから。

街の産廃の処理に関わり、お客さんの役に立てば、それはほんの少しとはいえ世界を変えている。その結果として、報酬をいただいて生きていける。

iPhoneを創ったジョブスみたいに世界を激変させなくともいい。意識の低い起業でかまわない。ほんの少しだけでも世界を変えれば、それはあなたの人生にとって大いに成功なのだ。

この記事を書いた人

カズナリ

カズナリ

雑記ブログ「カズナリ」の中の人。1971年生まれ。180cm80kg。ブロガー/ひとり社長。ツイッターで捕まえた年が半分の嫁が自慢。好きなことは家族/会社経営/作文/筋トレ/写真/ノート術。