それは捨てたから。
オジさんがオジさんなのは、いろいろなものを背負っているから。
全部投げ捨ててしまえば、少しはサッパリする。
彼女が欲しい 学生時代に果たせなかった夢
2020年5月現在、妻は26歳で私は48歳。毎日楽しい。コロナ禍で心を病んでしまう人も少なくないそうだが、気の合うパートナーが隣にいて、ゲラゲラ笑っていると、そんなヒマもない。
私は若いころは女性にまったくもてず、縁がなかった。学生時代に彼女と遊びに出かけたり、机並べて勉強したり、あるいはたまにケンカなどしてみたい人生だった。
パートナーと楽しい毎日を 夢が44歳でかなう
44歳のときに当時22歳の彼女と結婚した。
すると、いっしょにご飯作って食べたり、机並べてブログ書いたり、もう寝ようかと布団かぶったのに眠れないからコンビニに出かけたり、たまには泣き叫ぶ彼女に手を焼いたり、果たせなかった若いころの夢が今、実現しているのだった。
22歳で派手で菩薩のように優しい女性がなぜ?
22歳の女性というだけで、それはもう大変な価値がある。
そのうえ彼女は派手で目立つ。ファミレスでランチしてたら土下座するほどの勢いでナンパされたり、夜職のアルバイトしてたらうぶなお客さんに異常に粘着されたこともあったそう。
男性をどのように見ているかは、女性によって様々だ。容姿が優れてても、男性を軽蔑している女性もいる。彼女は、男性に優しい。菩薩のよう。
若くて、派手で、菩薩のように男性に優しい女性。それはもう、モテますよ。そんな女性が、なぜ44歳のオジさんである私をパートナーに選んだのか。
オジさんは背負うものが多すぎる
オジさんがなぜオジさんなのか。いろいろなものを背負っているから。
歳を重ねるごとに、ちょっとずつ、肩に重しが増えていく。家族。仕事。アイデンティティ。こだわり。いい歳の重ね方をしたら、それらは良い年輪となるけれど。
友人には、いい歳の取り方をしている男が多くて、たまに遊びにいくと、自分の建てた家に妻と息子と娘とネコがいて、食卓を囲み、なるほど家族とはこうやって運営するものかと感心した。
いっぽう私は、いつのまにかなんだかパッとしないオジさんになっていた。
家 脂肪 髪 正社員 執着 なにもかも捨ててしまえ
帰宅すると独りで、自分はいろいろと手遅れであることに呆然とする。若いころの彼女も、中年になっての家族も、手に入らなかった。
離婚後、仕事はしつつもフラフラしてて、40歳を超えたころ、カッとなって投げやり気味に、背負ったものを全部捨てはじめた。
まず、ローンが終わったマンション。これを売却して、大阪から東京に出てきた。背水の陣。
ダイエットして、脂肪を捨てた。
行き詰まりを感じて、正社員という立場を捨てて、起業した。
捨てる、捨てる。何度も引っ越しして、物理的なごみは大量に捨てた。こだわりや執着も捨てるようつとめた。カネを捨てるようなまねもした。
若いころからハゲてたから、もとより髪は捨てている。
最も捨てづらいのは女性への執着
離婚後、何人かお付き合いした女性もいた。
女性とはなんとわがままで理不尽な生き物なのだろう、ということを痛感した。
40歳をちょっと超えたころ、独りで生きていく覚悟を固め、女性への執着を捨てようと考えた。簡単なことじゃないけど。
そんなころに、今の妻と出会った。
古いものを捨てたらオジさんでもさっぱりする
彼女と出会ったときの私は、40代のオジさんにしては小ざっぱりしてたはず。
腹筋は軽く割れてたし、上腕の太さは40センチあって、スーツがキマってたはずだ。髪はないが、潔くスキンヘッドだ。
あとで彼女に聞いたが、スキンヘッドはいいがバーコードやカッパハゲはダメらしい。剃っててよかった。
会社員のころは、小さな組織の人間関係に疲れ果てていたが、すでに起業して社長で、ドロドロした恨みつらみはない。
そして、女性への執着も捨てようとしていたから、キモチ悪さも薄れていたはず。
背が高くて、唇が情熱的で、よく笑って、脚が長くてヒップがキュッとつり上がった彼女を目の前にして、その決意は動揺するわけだが。
とにかくも、ローンの終わった家とか、髪とか脂肪とか、せせこましい小さな組織への帰属などを投げ捨てることで、魅力的な彼女と出会い、44歳のオジさんが選ばれた。