コロナショックでミニマリズムが幻想となる

コロナウィルスのパンデミックがおさまり、来年には人類が勝利した祭典として東京オリンピックが開催され、世界は結束しひとつとなる、のだろうか。

アメリカのダメージはこれからますます増大しそうだし、中国への「おまえなにしてくれとんねん」というツッコミはこれから本番だし、黄色と白色人種の分断を招くだろうから、そうそう都合よくことは運ばない。

これほどの疫病は100年に一度の災いらしいが、震災とか戦火とか、100年に一度のやつらが10個集まれば10年に一度はなにかが来る計算だ。ぼんやり生きず、もうちょっと備えていかないと。

都市生活の便利さは平時のもの

モノを持たない生活はカッコいい。ミニマリストの本とか動画は人気だ。

20年以上も前から、若年者向けメディアでは、

「都市生活に冷蔵庫は不要、コンビニがボクらの冷蔵庫」

みたいな記事を繰り返し掲載している。

都市生活は便利だが、それは物流が支えている。コンビニに物を搬入しているトラックは誰もがみたことがあるはずだが、アレが途絶えたら瞬時にコンビニからモノは消える。

モノを生産する工場と、それを届ける物流と、それらを信頼する市民の「シェアリング」があってこそ、都市生活は成り立つ。ミニマリズムも楽しめる。

しかし、ひとたび事が起これば、それがただのうわさであっても、市民の焦りや功利に火をつけ、生活必需品が入手できなくなってしまう。マスクやトイレットペーパーみたいに。

「100年に一度」はけっこう起こる

トイレ紙が入手できなくなったのは地方でも同じだが、比較的早期に店頭に復活した。人が少ないから店頭に行列ができても知れたもの。我が家ではある程度の食料や生活必需品は備蓄してたんだけど、今後はトイレ紙の備蓄を増量することにした。

都心部にも住んだことがあるけど、1人用のワンルームには備蓄するスペースがない。潤沢な物流で備蓄を必要とせず、そのかわりに人口を蓄積するのが都市なんだから、そこは仕方がない。

それにしても、震災、疫病、戦火、テロ、異常気象といった100年に一度レベルの災いには、都市は弱い。人が多すぎる。

それぞれが100年に一度でも、10個集まれば10年に一度はなにかが起こるわけで、10年前には東北で大震災があったし、その前には地下鉄でサリンがまかれたり、神戸で震災があったり。

人災天災織り交ぜて、けっこう大災害は起こる。コロナのパンデミックもしかり。今後数年以内に、また何かあってもおかしくはない。人口が多い都市ほど、被害のリスクは高まる。

私はもともと人が多いところが苦手で、数年前に都市を脱出し、牛の鳴き声が聞こえるほどの田舎に移り住んだが、正解だった。

シェアリングは有事に役に立たない

モノを持たないシェアリングエコノミーがもてはやされているが、これも有事には弱点をさらけ出す。トイレ紙やマスクと同様、その時点でニーズが高まれば、あっという間に枯渇する。

カーシェアリングがもてはやされているが、今すぐどこかに移動しなければ死ぬかも、となったら、シェアリングなんてしてられない。

ミニマリズムやシェアリングエコノミーは、平和な都市生活があってこそ成立するライフスタイルだ。しかしそんなカッコよくて先進的な生き方はひ弱でもある。

敷地に倉庫も井戸もあり、たっぷり食料を備蓄し、クルマを複数台所有している農家が最強なのだ。そこにライフスタイルを近づけていくぞ。まずは有事の燃料入手難に備え、燃費のいいハイブリッド車を買おう。

この記事を書いた人

カズナリ

カズナリ

雑記ブログ「カズログ」の中の人。1971年生まれ。180cm80kg。ブロガー/ひとり社長。ツイッターで捕まえた年が半分の嫁が自慢。好きなことは家族/会社経営/作文/筋トレ/写真/システム手帳いじり。