今週のお題「日記の書き方」
自分の日記はおもしろい
自分の日記は、未来の自分にとって凄まじくおもしろい読みものとなる。25年間、断続的に日記を書いてきたからわかる。未来の自分を面白がらせたいから、書いている。
できるなら、字を覚えたころの自分に、毎日日記を書くんだ、と教えたい。6歳から現在まで続く、僕の日記。もう、どんな動画や漫画や映画より面白いだろう。
この記事は彼、6歳の僕に渡す、日記の書き方の教本だ。
見たものを撮れ 体験を書け
画家、写真家、書家、小説家。一流のクリエイターは必ず「上手く創ろうとするな」と教える。素人が、上手くやろうと意識すると、つまらない作品ができあがるから。
じゃあどう撮るんだよ。描くんだよ。書くんだよ。
見たものを撮れ。描け。体験を書け。と彼らは指差す。
具体的に、どうすればいい?
恥ずかしいほどつまらない僕の日記
自分の日記を読んでみると、ヒントがある。
うまく書こう。面白く書こう。
そう意識した自分の文章は、まったく面白くない。恥ずかしい。削除してしまいたい。
実際、今まで数多くの自分の日記、それらは紙のノートだったりデジタルのテキストだったりだが、廃棄し、削除してきた。
このブログにもそんなテキストが多数ある。でももう削除しない。あえて恥をさらしている。
こんな日記は面白い
肩の力を抜いて、短時間で、ただ今日の出来事を記した日記もある。それが面白い。もう、本当にいい。そういうのでいいんだ。
面白く書こうとしなければ、面白くなる。
でも、それが難しい。面白く書いてやる。読んだ人を笑わせてやる。ふと気づくと、ついそんな姿勢で挑んでいる。
ハードボイルドの作法で
面白く書いてやるぜ。そんな態度を矯正するため、ハードボイルドの作法で日記を書くことにした。
事実だけを、端的に積み上げる。面白いことがあっても「面白かった」とは書かない。
「A君のジョークに、僕は笑った。腹筋が痛くなっても笑った」
と書く。本当にそうだったなら。
おいしかった、と書いてはいけない。
「バゲットの皮は固くて、歯がはねかえされた。さらに噛むと皮が割れて、乾いた音がして、小麦を焼いた香りがした」
と書く。
怒った、悲しかった、嬉しかった、こう思う。感情は書かない。
感情の動きを的確に文章に捉えるのは難しい。面白く、という邪念が混ざりやすい。時間もかかる。
事実だけを、スピーディーに、いくつも積み重ねる。それで、日記は思い出として鮮やかに立ち上がってくる。
未来の自分が読むと、面白い、はずだ。